寄稿「アート、これからの時代に必要な能力を育てるピアノ」

音楽の世界、2023年秋号に寄稿しました。タイトルは「アート、これからの時代に必要な能力を育てるピアノ」です。このブログ内でも昨年からSTEAM教育とピアノとの関連や、アートについて書いていることがあります。その現時点での概要というか簡単なまとめになっています。内容な以下の通りです。

「アート、これからの時代に必要な能力を育てるピアノ」伊藤正

・ピアノを勉強することは実際に何の役に立つのか

私の様な音楽家は、役に立つも何も音楽はそれ自体でこんなにも素晴らしいものだと思っているのですが、例えば学校の授業をイメージしてみても、国語や数学などと比べると音楽は一段低い地位に甘んじているように見えます。大学の入試に必要ではないから勉強しても特に将来の進路や仕事に役に立つわけではないとの考えも根底にあるかと思います。しかし本当にそうなのでしょうか。

幼いころからピアノを弾いてきていると、音楽からパワーをもらったり、癒やされたり、感動したりという経験を重ねてきています。そんな音楽の本質的な価値を最も分かっているつもりの私自身も以前は、「音楽が実生活に役に立つかと言われればどうなのだろう?」と、ふと考えてしまうこともありました。

ただ、日常的に現在も演奏や教育活動をしている過程で、「ピアノを弾くということは実は音楽を楽しむだけではなく、もしかしたらとても多くのことを学んでいるのでは?」と感じるようになりました。

もちろんピアノは小さなころから始めないと演奏技術を身につけるのが難しいですし、長い練習を重ねて自由に弾けるようになったときの喜びは何にも代えがたいものです。楽器を自ら演奏出来ること、これは生涯を豊かに過ごすための素晴らしい能力であることは間違いありません。

ただそれだけでは無く、練習の過程でもっともっと色々なことが学べて、しかもそのスキルがあまり意識すること無く自然と身に付いているとしたら・・・一石二鳥どころではありません。

・現在はどんな学びが必要とされているのか?

ここで、そもそも今の時代に何を学ぶべきなのか、どんな力を身につけたら良いのかを考えてみたいと思います。

私たちは変化の激しい時代に生きています。古くはコンピューター、そしてスマートフォンの登場以来、その変化は正に加速度的であって、誰もが5年後10年後のありかたを予想することが難しくなっています。そして、最近はAIの発達により、多くの人たちの仕事が無くなるなどと叫ばれています。未知の未来への不安を漠然と覚える人たちが多いのも当然でしょう。

時代の急流に流され未知の世界に入り込んだ上、今の仕事まで無くなってしまったらどうしたら良いのか。世の中の変化を元に戻すことは出来ないように思いますし、その変化自体もこれからより大きくなっていくと思われます。その流れの中で自分を確立し、人の役に立つ仕事もしていくためには、私たち人間がヴァージョンアップするしかありません。

では、そうなったときに必要な能力は何かと考えたときに、私は「アート」こそが、人間が人間らしく生きていくための力、同時に、未来を新しい技術で切り開いていくための、必須の力であると考えています。

・アートとはアーティストの感性(センス)

「なぜここでアート?」と思われる方も多いでしょう。機械では無く人間らしく生きていくためにアートが必要なのはまだ理解できても、アートで新しい技術を考え出すとはどういうことでしょうか。

まず、一口にアートと言ってもここで私が想定しているのは例えば音楽を作曲するとか、絵を描く、現代アートの様に空間や映像で何かを表現するということだけではありません。もちろんそれも目に見える結果としては確かに大切なものですが、もっと本質的に重要なのは他の何かを考える時にもアーティストの感性(センス)を持つこと、そしてそこからの学びです。つまり創造の結果ではなく、そのプロセスです。

もう少し説明すると、例えば音を並べれば曲が出来ます。紙に色を重ねていけば絵が描けます。ただ、そのような完成されたものは、すでに一般のアプリでも作れてしまいます。恐らく今までのデータから多くの人が心地よいと感じる音の並びや色の配分を導き出すことにおいては人間よりも優秀でしょう。

では私たち人間がそれを作ることにどんな意味があるのか。それは、その音を並べるときにあなたが何を考えて、感じて、ひらめいて並べたのか、ということです。結果として出来た曲以上にそのプロセスに価値があるのです。そしてそこからはビジネス含め他の沢山の事に応用できる多くのことを経験的、実践的に学び取ることが出来ます。

アーティスト的なセンス、考え方、それはその人独自の視点とも言えますし、柔軟でフレキシブルな考え方、意外な閃きとも言えます。アーティストの思考回路と言い換えるとわかりやすいかもしれません。決まった答えを導くのではなく、曖昧な答えの無い世界の中で、自分の表現したいことをどう表現したら伝わるのかを感じる感性であり、様々なことを選択するときの感性です。

・ピアノはアーティストセンスを効率的に学べる

では音楽、特にピアノの学びを通してなぜアーティストの考え方を身につけることができそしてなぜそれが他の楽器と比べても効率的で深いところまで理解できると言えるのでしょうか。

ピアノの大きな特徴、他の楽器との大きな違いとして沢山の音を一度に出せることがあります。鍵盤は88鍵もあります。人間の声だと一つの高さの声しか出せないので極端に言えば全部一度に鳴らすと88人分が一緒に演奏できるということにもなります。これはアーティストの考え方に触れるための大きなメリットの一つです。なぜなら多くの音楽は音を縦に重ね合わせて作られているからです。

数百年の単位で受け継がれてきているクラシック音楽から、ポップスまで、作曲家達は皆、自らの表現したいことを音を通して表現しました。そしてそれを楽譜として表しています。楽譜というのはとても便利なもので、その作曲家の音楽をつくるプロセス、頭の中をのぞけるツールとも言えます。

そしてその楽譜は多くの場合いくつも縦に5線が重なっています。例えば合奏だと上からフルート、クラリネット、トランペット・・の様に。その場合、5線の数の分だけ人がいないと曲が成り立ちません。それをピアノだと音を沢山出すことができるので一人で演奏することが出来るのです。つまりは作曲家(アーティスト)の考え方をフルで理解するときに最も便利な楽器ということになります。そしてそれはあなたが即席の作曲家になったときも多くの表現がしやすいことに繋がります。

音を聞いてアーティストの感性を感じるだけでももちろん良いですが、楽譜を読みといて、ましてやそれを演奏出来るようになるということは偉大な創造のプロセスを追体験することと同じです。つまりアーティストの考え方そのものを最も実践的に効率的に学べるということです。また、自分で作曲してみることでよりその学びは深まります。

楽譜を読み解くなどというと難しそうに感じますし、ましてや作曲なんて、と思われるかもしれませんが、例えば5つの音だけを並べるだけでも沢山の気づきがあるはずです。ドドドドドと並べるのとドレドレドと並べるだけでも表現としては大きな違いなのです。楽譜を読むのも音符を線でなぞるだけといったような簡単なところから始めてみるとこれも大きな発見があります。

このような初歩的な段階から意識的にアートのセンスを育むようなメソッドを作りピアノを使い、創造性のある未来を作っていく人材の育成を図っていきたいと考えています。特に徐々に複雑な曲にレベルアップしていくことを主眼とした従来のクラシックのレッスンの流れと異なった視点でのアプローチをすることで、ピアノが実際に非常に役に立つことを周知でき、音楽の持つポテンシャルを今以上に意識的に発揮できるようになると思います。

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