2回目の寄稿が上毛新聞さんに掲載されました。
今回のテーマは「心に残る体験の機会を」です。
学校などで幼少期に心に残る機会を提供することの大切さについて書いています。もちろん広く世の中でも言われていることではありますが、改めて自分の体験も含め書いてみました。
以下が全文です。
「心に残る体験の機会を」
前回は音楽が調和していることをいくつかの視点から見てみました。今回はそれを社会に伝えていくアイディアを考えます。
誰しも子供のころの体験で、今でも心に残っているものがあると思います。例えば私は小学生の時に海に行って食べた牡蠣が初めて美味しいと思ったことをなぜか良く覚えていたりします。「初めての感動」は強く、ずっと心に残ります。
小学校などでコンサートを行うことがあり、その後のアンケートや感想では、こちらが予想している以上に嬉しい声をもらうことが多いです。いつも一定数ある声は「初めて近くで楽器のコンサートを聴いた!」。そしてそれに続く驚きと感動の言葉。私たち音楽に携わっている者にとっては初めてということに驚きを感じてしまうのですが、一般的には、確かにわざわざ家庭でそのような機会を持とうとしなければ確かに聴く機会はないのかもと気づかされます。世の中にスマートフォンやテレビからの音は溢れていても、アコースティックな音楽は確かに皆にとっての日常的なものではありません。
また、聴くこと自体は初めてでは無い場合でも、子供たちの反応はとても新鮮です。私は基本的には専門であるクラシックの音楽を演奏しますが、やもすると「難しい」と捉えられがちな音楽も、子供にはスッと受け入れられているように感じます。おそらく初めて聴く曲だと思うのですが、やはり子供にとっては新しいということは日常的なことであるので、未知なものに対する抵抗が少ないのでしょう。時を経て今も残る名曲はそれぞれに個性的な世界観をもっています。考え方の基礎を作る時期に様々な刺激に触れることで、より子供の精神的な世界が広がっていき、多様性を学ぶことができます。
音楽が、その様な貴重な幼少期に心に残るものとなるためには、やはり私たち演奏家の果たす役割が大きいのは明白です。アコースティックな音は演奏者がそこに「いる」ことで初めて存在します。オンラインでは不可能です。
そして大きなホールではなく、より子供達の心に近づけるような場所、距離で演奏することでより親密な体験となります。子供たちにとって日常的な場所はやはり学校や幼稚園など。声が届く距離で、演奏者の話しも交えながらのコンサートは確実に音楽の種をまき、調和のとれた豊かな人生、そしてそれを社会にも広められる素晴らしいことではないでしょうか。その子にとってその体験が将来に渡って貴重なものとなるならば、その一度のコンサートの貴重さは計り知れません。
音楽に対する「初めての感動」。音楽の内包する調和の力も含めて、大きな体験として子供の心に残れば演奏者としてもこれほど嬉しいことはありません。